第77回憲法を考える映画の会『生きていてよかった』『千羽鶴』
第77回憲法を考える映画の会『生きていてよかった』『千羽鶴』
日時:2024年8月11日(日)13時30分〜16時30分
会場:文京区民センター3A会議室(地下鉄春日駅 2分・後楽園駅 5分)
プログラム
13:30〜13:40 この映画について
13:45〜14:50 映画『生きていてよかった』(52分)
15:00〜16:10 映画『千羽鶴』(67分)
16:10〜16:30 トークシェア
参加費:一般 1000円 若者 無料 (当日、会場でお支払いください。予約不要でどなたでも参加できます)
【作品解説】
映画『生きていてよかった』
1955年8月に開かれた第1回原水爆禁止世界大会で、被爆者救援運動の一貫として企画された作品です。
急性白血病やケロイドなどに苦しむ被爆者たちの苛酷な生活の実態にカメラを向けています。
映画は、第1部「死ぬことは苦しい」、第2部「生きることも苦しい」、第3部「でも生きていてよかった」の章立てに分かれて構成されています。
亀井文夫監督は、この作品を作ったねらいについて「こんな不幸な目にあいながら、なお強く生きぬこうとする人たちがいる。
日々のつまづきの中で気をくさらせたり、安価な絶望に浸ったりすることの愚かさを思われたい」と話しています。
(映画.com『生きていてよかった』より)
*1956年制作/亀井文夫監督/ドキュメンタリー/日本ドキュメントフィルム
映画『千羽鶴』
1955(昭和30)年秋、広島の少女 さだ子が原爆症で亡くなります。
クラスメイトたちは、これ以上子どもたちが戦争や原爆の犠牲にならないようにと願いを込めて原爆の子の像の建設募金活動を始めます。 映画『千羽鶴』は、実際の建設運動の最中に撮影されました。
ロケーションはモデルとなった佐々木禎子さんの家(床屋)や通学した原爆病院などで行われ、劇映画でありながら“時代の記録”としても大変貴重な作品です。
原爆症で亡くなる少女を描いたにもかかわらず、この映画がさわやかなのは、戦争の傷跡から手を携えて生きようとする子どもたちの健康な姿と、その子どもたちを支える教師たちの姿があること。民主教育の息吹をきちんと捉えて描いた作品だからなのではないでしょうか。(DVD『千羽鶴』ジャケットより)
*1958年/67分/劇映画/木村荘十二監督/共同映画株式会社
【この映画を見て考えたいこと】
1950年代なかば、いわゆる30年代に作られた原爆についての二つの映画を観て、
原爆が当時の子ども達にどのように伝えられてきたか、大人たちはどのようにそれを伝えようとしてきたかを考えたいと思います。
昭和30年代は、平和運動、反戦運動、原水爆禁止運動などの市民運動が大きく盛り上がった時期でもあります。誰もが自分のこととして戦争の悲惨さを知っていて、二度と戦争をしてはならないという気持で一致していました。それらを先導していったのが教育や市民運動であり、その中で映画も役割を果たしていたと思います。その教育や市民の運動は、その後どうなったのか、映画を観ていた子どもたちや大人はその後、戦争や憲法の考えをどう伝えていったのか、もう一度見ていきたいと思います。
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