憲法情報Now<シネマ・DE・憲法> (252)映画『ビリン闘いの村』
憲法情報Now<シネマ・DE・憲法>(252)
映画『ビリン闘いの村』
(初出2008年7月28日掲載・蓼沼紘明 記)

ヨルダン川西岸にあるパレスチナ暫定自治区内のいたる所に、イスラエル政府は一方的に分離壁を建設しています。
この映画は、自治区の中のビリン村の住民たちが、分離壁の拡張建設に対して非暴力で闘うようすを克明に描いたドキュメンタリー作品です。日本人の佐藤レオさんが単独でビリン村を訪れ撮影した監督としての初作品です。一つの村の生活や抵抗の様子を描くことに集中することによって、非暴力で闘う人たちの必死さ、切実さがひしひしと伝わってきます。
ヨルダン川西岸は、アラブ諸国との1967年の第3次中東戦争で圧勝したイスラエルが不当に占領している土地です。国連安保理はイスラエルに対して、占領地からの撤退を求めました。しかし、イスラエルはこれに応じないのみならず、ヨルダン川西岸地区へのユダヤ人の入植を増加させてきました。分離壁はパレスチナ人が居住する地域を取り囲み、生活圏を奪うものです。
1948年のイスラエル建国の際、イスラエルはパレスチナ人の居住区を武力で制圧し、大量の虐殺者と70万人の難民を発生させました。パレスチナの人々は、この事件を「ナクバ」(大惨事)と呼んでいます。詳しくは、映画『パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ)』の解説をごらんください。イスラエルの武力行使によってパレスチナ人の難民の数は増え続け、現在国連パレスチナ難民救済事業連合が支援するパレスチナ難民は460万人に上っています。
ビリン村の人たちは、毎週金曜日、分離フェンスに対して非暴力のデモを繰り広げて抵抗を続けています。女性や子供も参加する村ぐるみの闘いです。分離フェンスの向こうには、イスラエル人の高層マンションが次々に建ち並びます。他方、こちら側はヤギを追うぎりぎりの生活です。水もイスラエルに管理され、パレスチナ側には十分に送られてきません。イスラエル兵による検問や尋問は日常茶飯事です。あらゆる面で“兵糧攻め”にされた村は、ますます窮地に追い込まれています。
ビリン村の人たちは、暴力に対して暴力で立ち向かうことは、さらなる悲劇を生むだけであることを身体で知り尽くしています。その知恵にもとづく行動には日本国憲法9条の考え方の実践を見る思いがしました。しかし、アメリカなどの大国をバックにした強力なイスラエル軍に素手で抵抗し、正当な権利を主張するためには、国際社会の支援が不可欠であることを痛感させます。デモにはイスラエル人活動家も参加しています。その一人の、「もしデモにイスラエル人や外国人がいなかったら、パレスチナ人は殺されるんだよ。」「デモは、カメラがないとデモにならない。」という言葉にはとてつもない重さを感じます。9条を実践する人たちを孤立させてはなりません。
【映画情報】
製作:2007年 日本
監督:佐藤レオ
時間:61分
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