小平でもで考えたこと(子供たちにどう話せるか?)
【報告】小平デモに5日の日、行ってきました。
デモ行進がはじまる前のスピーチの最後は親子連れでした。
お父さんの「憲法を変えるにはどうする?」という問いかけに、学校の授業で習ったという少年ははっきりと「衆議院と参議院国会議員の3分の2以上の賛成で…」と答えていました。
こんな子どもでも知っていることを知らないのは安倍さんだけですよ、そんな人が総理大臣だなんて、と言おうとしているわ
けではありません。(そう言いたい気持ちはまだ少こうし残ってますけど)
ああ、自分たちもこのこと同じくらいの時に、憲法のこと教わったなあ、「国会議員の3分の2以上の賛成」「三権分立」そして「戦争の放棄」。でも憲法がそもそも何であるか、立憲政治の本質とは何か教わってなかったなあ、と思いました。大学の教職課程で必須だった「憲法」の授業でもそれは教わってなかったように思う。今からでも学校の先生は自分たちでもきちんと学んで、教えなければ行けないのじゃないでしょうか。
(と思うのに、さいたま市の公民館では「9条守れ」の俳句を、「集団的自衛権で世論が割れているときに、一方の意見だけ載せられない」と掲載拒否したこと。
憲法学の先生が「『意見が分かれているから』と排除してしまえば、話し合いの場を閉ざしてしまうことになる」と言っていたことが印象に残ります。
そうです。ヘイトスピーチでも、ネトウヨの書き込みでも安倍首相の答弁でもはじめから話し合い、あるいは議論がないんですよね。
「かみ合わない」ではなくてはじめから話をするつもりもない。結論が決まっている審議会と同じで、話を聞く気ははじめから無い、それが「言論に府」で当然のように行われている貧困さ、卑怯さにたくさんいる国会議員は何をしているのだろう?あなたたちは何をする人なんですか?
【集団的自衛権を子どもにどう説明するか?】
さて、デモをしながら、子供たちにどのように今の憲法の危機や集団的自衛権が憲法違反であることを話したら分かってもらえるかなと考えていました。
ケンカをする、あるいはケンカでなくても、いきなり殴りかかって来られたら応戦するよね。これはまあ「正当防衛」で、たとえば相手が打ち所が悪くて死んだとしても、「正当」が認められればまあ罪にはならないでしょう。これが個別的自衛権。(日本国憲法ができたときには、察するに大多数の人がもう戦争はこりごりだと思っていたので、戦争を無くすためには、ガンディーの「無抵抗主義」と同じように「武装しない」と言うことしかない、と案外多くの人が思っていたのではないかと思います。だから「正当防衛」の自衛隊も十分戒めをもっていて「必要最小限度」だったのでしょう。多くの戦争が「正当防衛」や攻撃される「おそれ」を建前に始まったものですから)
さて「集団的自衛権」です。これは、ケンカ、あるいは戦争だから殺しあいをしているところへ割り込んでいって、自分はこっちの人と親しいのだからケンカを買って出る。これが集団的自衛権。
そんなケンカで相手を殺してしまったら(ケンカでなく戦争ですから確実に殺し合いになりますが)、正当防衛の理屈は成り立ちませんよね。完全に犯罪です。ケンカしている相手だって突然関係ない人間が明らかに殴りかかってくるのだから「敵」と思ってグルになっていると思って殴り返すよね。
その「親しい関係」の「親しさ」って言う「集団的」関係も問題だ。
「いつも守られているばかりじゃ何だからたまには…」という程度のものか、そりゃクラス一番の腕力ある彼だって、時々お前行ってこいよ、おれに守ってほしいならば、お前もたまには戦えよ、俺が気にくわないと思っているあいつ、何かというと言うことを聞かないで「はむかう」あいつは殺したっていいんだ、と言いかねない。
これまで何遍もそう言って弱いものイジメをしてたくさんの人を殺してきたのが「親しい仲間」=集団なのです。
【私は暴力が嫌いです】
子どもの頃から、私は戦争が恐かった。戦争をするような国や社会が嫌いだった。そのおおもとに何があるかとたどっていくと「暴力がきらいだ」と言うことがあることに気がつきます。
「腕力がふるえる者が大きな顔が出来て、人に命令できる」
(暴力的な行為、ヘイトスピーチも、街宣車も、嫌いなのはそこに何の話し合いも議論もしようという気持ちが表れていないでただただ罵声と大きな音で遮れば良いと思っている人たちの声だからです。)
「力があるものが勝って、力の無いものはいつまでもそれに従う」そんな社会だったら今まで積み上げてきた民主的な社会は後戻りしてしまう。人類が創ってきた文化と未来を壊してしまうことなのです。
【日本国憲法が好きです】
どうして自分はこんなにも日本国憲法が好きなのかな、と言うことも考えました。
なぜ好きなのかと言えば、暴力を排して未来を創ろうとしているからです。暴力は話し合いとか議論とかの対極にあるものです。日本国憲法がめざしているものは話し合いや外交や文化の交流と言ったそれぞれ違いを認め尊重したところで工夫し、努力して暴力を排して平和な世界を創っていこうとするものです。
そうした理想を実現しようとする方にくみしたいと子どもの頃の私は戦争のはなし、憲法の話を聞きながら思うようになったのだと思います。
力が強い方が勝ち、回りの国より如何に暴力を振るえるかを競ったところから平和は生まれません。不信感と恐怖心がかえって暴力を生みます。戦争は最大の暴力です。
デモに参加した子どもの姿を遠くから見ながら「この子にどんなふうに話していけるか」と考えました。それは子どもだった私に親や戦争を経験した大人たちが話していたこと、伝えようとしていたことかもしれないと、ふと思いました。
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