憲法情報Now<シネマ・DE・憲法> (240) 映画『ぐるりのこと。』
憲法情報Now<シネマ・DE・憲法> (240)
映画『ぐるりのこと。』
(初出2008年6月23日掲載・蓼沼紘明 記)
自伝的小説「東京タワーオカンとボクと、時々、オトン」のリリー・フランキーが本格的に映画に初挑戦しました。夫カナオ役の自然体の演技が好評です。彼の妻翔子を演じる木村多江の透明感ある演技も光っています。劇場は若い人でいっぱいでした。久しぶりです。「精巧なガラス細工を手に持ったような繊細な仕上がり」(山田洋次監督)との評もあります。法廷画家カナオの目を通してバブル崩壊後の日本で起きた社会的な犯罪の数々を挿入することによって広いパースペクティブを設定し、観客の洞察力に挑んでいると感じられる意欲的な映画です。
6月17日に刑が執行された宮崎勤死刑囚(加瀬亮)の事件も登場します。確定後異例なスピードでの執行には、秋葉原で起きた事件をきっかけに社会的背景に目が向くことを遮断し、“とんでもない異常な人間”の事件として片付けようとの思惑が感じられないでもありません。映画は現在の社会に切り込んでいます。
監督は、マイノリティーの人たちの実像を追ってきた橋口亮輔。今、年々精神的な病に苦しむ人が増えています。労災認定も昨年は最高記録でした。監督も、6年前の映画「ハッシュ!」の製作後鬱になり仕事を休み、死ぬことばかり考えていたとのこと。そして、イラク戦争が始まって間もなくの頃、日本人の人質が成田空港で“自業自得だ”と激しいバッシングを受けたことに強烈なショックを受けたそうです。なぜこんな日本になってしまったのか?監督は、鬱になった人はそれまでの出来事をフレッシュな感情で蘇えさせると言います。そして、成田空港の出来事の背景に、90年代前半のバブル崩壊後の時代の変化を見出し、93年から9.11事件までの10年間に起きた犯罪事件を映画に挿入して検証してゆきます。
その橋口監督が6年ぶりに復活し、「これは自分だ!」というのが木村多江扮する妻の翔子です(30代前半の感じ)。出版社で編集の仕事をしている翔子は何事もきちんとしないと気が済まないタイプでした。夫カナオとの「する日」も部屋のカレンダーに書き込み、夫の帰りが遅いとイライラします。お腹に子どもが宿った時の翔子の喜びは格別でした。しかし、カメラは人が変わったように沈んだ翔子の姿に切り換わります。小さな仏壇と二つの飴玉。生まれた娘は嬰児のうちに亡くなったのです。翔子は、自分を律することもできなくなり仕事もやめ、鬱の治療薬に頼ります。そして中絶。「私、子どもダメにした」とさらに自分を責める翔子。
そんな翔子を静かに見守っているカナオですが、二人の間には次第に距離ができます。部屋に入ってきた蜘蛛を退治しようとするカナオに、「殺さないで!」と叫ぶ翔子。びっくりするカナオ。そして、子どもが死んだことを「残念」というカナオに、「残念?私が死んだら泣く?残念?」。
結婚生活、さらには広く人間関係というものについて、二人の間に認識の違いがあったようです。「軽々しく離婚する風潮になって来ているが、結婚なんてそんなもんじゃない。どんなことがあっても絶対に離れないのが夫婦」という固い哲学を持つカナオ。これは俳優リリーの哲学でもあります。その哲学に支えられる翔子。しかし、翔子はそれ以上のものを求めていました。それは生命への畏敬だと思います。そして、夫婦とは強く信じ合うものだという信念。翔子の心の闇の深さに気付いたカナオは、その痛みに接近してゆきます。カナオが「父親が自死したときも泣かなかった。人は裏切るもんだ。人の心の中は誰にも分らんよ」と告白したのがきっかけでした。実はカナオも個として孤立していたのでした。これを契機に2人の心の痛みが拮抗し共有されてゆきます。翔子の鬱からの解放と「2人で一つ」の物語の始まりです。そして、2人で共に希望を見出してゆきます。鬱病にまでは至らないまでも、なんとなく違和感があるが一緒にいるという夫婦に対しても監督は、“それでいいの?輝く希望を持ってるの?”と問いかけているようです。
「2人で一つ」の物語では、植物が重要な役割を果たしています。子供を亡くした翔子はカナオの援助で、植物の絵の制作を始めます。小さな庭(ベランダ?)に育ったトマトやひまわりを描く翔子。植物の生命を描いているような凄みを感じさせる筆さばき。“生命には変わりない”。尼寺の茶室の天井を飾る花々の絵は生き生きしています。
カナオと翔子が「個」を脱出できたのは、カナオが法廷画家として社会的な病理を扱う事件で様々な容疑者たち、証人たちを観察してきたことが影響しているようです。連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤被告)、オウム地下鉄サリン事件、池田小児童殺傷事件、音羽幼女殺害事件‥‥。おカネ崇拝を生んだバブルは、資産を持っている人とそうでない人の格差を拡大し、人心や家庭を荒廃させ、人と人の繋がりを希薄にし、人間のアトム化を促進しました。孤独になった社会は、人間を人間と思わない新しい犯罪を発生させました。社会そして国家の病理現象をカナオは肌で感じたはずです。
夫婦愛を描いた作品としてPRされていることの多い映画です。監督の下記の思いはどれだけ観客に伝わることに成功しているでしょうか。
“人の最終的な幸せが夫婦であるとは思わないんですよ。夫婦ということよりも、人間同士がどう繋がって、どう関係を結び、その先に何が見えてくるかという、人の話を描いているんだなとは思っていました”(パンフレットより)。
【映画情報】
製作:2008年 日本
原作・脚本・監督:橋口亮輔
時間:140分
出演:木村多江/リリー・フランキー/倍賞美津子/寺島進/安藤玉恵/柄本明/寺田農/加瀬亮
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